シリーズ くらしと 憲法 ⑤

2017年10月25日

弁護士 杉 島 幸 生
(関西合同法律事務所)

男女平等が危ない?
憲法24条はなぜ生まれたのか

 「家長の同意なしには結婚できない」「妻に独自の財産は不要である」「妻には経済活動をする能力はない」「男兄弟がいる女性、男の子がいる女性は、親や夫の財産を相続することはできない」戦前の日本ではこれが当たり前のことでした。脈々と受け継がれる「家」こそが大切であり、女性の価値は、「家」を支えることにこそあると考えられていたからです。女性が自分の意思で結婚するなんてことは、「家」を破壊するとんでもないこと、家長(戸主)となるべき男子を支えることが役割である女性に独自の財産を認める必要はないというのです。これが「家制度」でした。そして、その頂点に天皇家が君臨していたのです。
「家制度」は、自分らしく生きたいという女性の思いを押し殺してきました。ですから「個人の尊厳」を大切に考える日本国憲法が「家制度」の廃止を掲げたのは当然のことでした。それが24条です。24条は、「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」し、家族に関する法律は「両性の本質的平等に立脚して制定されなくてはならない」としたのです。戦後の男女平等をめざすとりくみはここから始まりました。ところが今その逆流が生まれています。個人より「家族」こそが大切だ。個人は家族あってこそ意味がある、法律や社会の制度はそれを前提にすべきだというのです。自民党の憲法改正草案は、そのことを24条に書き込み、「婚姻は両性の合意のみ」という部分から「のみ」を削除しようとしています。「家族を大切に」と言われれば、「そうだよね」と思いがちです。しかし、「家族」のあり方は人によって様々です。これを制度化すれば、戦前の「家制度」が形をかえて復活しかねません。保守思想家が提唱する「親学」や、自民党提唱の「家庭生活支援法」には、その片鱗がうかがえます。
憲法について考えるとき、私たちは、耳あたりの良い言葉に惑わされるのでなく、その規定が生まれた歴史や社会的な役割についても考えなくてはなりません。だからこそ憲法を学ぶことが大切なのだと思います。